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ラマダンについて、尋ねるのがあまりにも怖かった8つの質問

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ラマダンについて、尋ねるのがあまりにも怖かった8つの質問

ラマダンという月は太陰歴の9カ月目に起こる。その月は預言者ムハンマド(彼に平安あれ)に、全能の神が偉大なるクルアーンの最初の節を啓示した月である。地球上の健康なイスラム教徒は、我々の創造主に近づく為に、日の出から日没まで斎戒する。全ては我々の主を悦ばせる為に家族や友人が集まる、誠実な崇拝の時である。

1.何故ラマダンは毎年違う日時に始まるのか?

イスラム教徒の信仰上、我々は、太陽の動きを基準とする新暦の代わりに、月を基準とする太陰歴に従う。その結果、ラマダンの月は、斎戒をする人の場所に応じて、毎年異なる季節に起こる。例えば、ニューヨークで斎戒する人はラマダンの間に夏を経験し、オーストラリアにいるイスラム教徒は冬の間で喜びを感じるかもしれない。数回のラマダンが過ぎた後、両方の場所で完全に反対となるだろう。

ラマダンのような幸多い月が異なる季節にあたる利点の1つは、ラマダンが毎年太陰暦を通してゆっくり動くので、季節の果物と野菜を楽しむことが出来る事にある。

想像出来るように、カレンダー上の熱さがピークの月の間に斎戒するのは更に困難である。真夏の間に斎戒することは、確固とした信念で乗り越える大きな課題を引き起こすことがあり得る。

より涼しい季節に斎戒するイスラム教徒は、困難と共に斎戒する同胞の為に祈りを欠かさないように常に意識している。

2.あなたは完全に30日間飲食物なしで死ぬことはないのだろうか?

ラマダンの間、イスラム教徒は実際には一カ月の間飲食物を慎んでいるのではない。確かに、そのような事をする人は誰でも死ぬだろう。ラマダンの斎戒の定義は、夜明けから夕暮れまで飲食物を絶つことを意味する。イスラム教徒は、高繊維食品や新鮮な果物や十分な水からなる典型的な栄養のある朝食を摂る為に、夜明け前に起床する。夜明けの礼拝の呼びかけであるアザーンになると、イスラム教徒は飲食を止める。

それが学校に行くか、仕事に行くかに関わらず、斎戒の日は日常生活に費やされる。一日を通して崇拝の更なる行為に従事している間、義務の礼拝を行う。ラマダンの間、実行されるあらゆる善行または崇拝行為の報酬は拡大される。

多くのイスラム教徒は、この月から得られる全ての利益を得るために、最善を尽くす。例えば、ラマダンの30日間の間に全てのクルアーンを復唱する。

3.何故イスラム教徒の子供達は斎戒するように強制されるのか?

幼いイスラム教徒の子供達は斎戒を強制されることはない。全能の神はクルアーンで仰せられた。「宗教には強制があってはならない。」(偉大なるクルアーン2:256)

イスラム教において誰も強制されることはない。我々の先祖に規定されたように、斎戒は命じられた。健康で思春期の年齢に達したイスラム教徒だけは、斎戒を要求される。病人、老人、旅行者、月経中の女性、妊婦または授乳中の女性は斎戒する必要はない。

イスラムにおいて実際、それがどんな形であれ、自分自身に危害を与えることは禁じられている。それでもし斎戒で誰かが弱まったり、具合が悪くなるなら、斎戒に参加することは禁じられる。

斎戒をしていない間も、イスラム教徒はラマダンを実践する方法が幾つかある。斎戒する人々の為に食事を用意したり、貧しい人に食事を与えたり、または神への唱念に従事することは全て、イスラム教において素晴らしい行為であり、その報酬が与えられるだろう。

4.ラマダンはイスラム教徒にとって体重を減らす為の行いなのだろうか?

まったく正反対である!一部のイスラム教徒はラマダンに体重が増加する。長い一日の斎戒はイフタールと呼ばれる食事で終わる為、多くのイスラム教徒は一旦日が暮れると、揚げ物の前菜とカロリーが高いデザートに誤って陥る。このような食事は、早急に弱ってしまうエネルギーになり、体重の増加の原因となる。胃腸の不調はしばしばラマダン時にピークに達して、崇拝行為に対して無気力に終わることがある。

しかし健康的なイフタールの食事を摂ろうとする多くのイスラム教徒も存在する。穀物や赤身肉や、野菜と様々な果物で、エネルギーを高めることが出来て、調子の悪い胃腸に対処する必要はなく、イスラム教徒は24時間崇拝行為の為のスタミナを蓄えることができる。

5.ラマダンの期間中に他にしてはならないことはあるだろうか?

イスラム教徒は、ラマダンという聖なる月に控えなければならない事が沢山ある。斎戒中の配偶者との親密さは、斎戒中に禁じられている主要な活動の一つである。

喫煙や嘘、 噂話や陰口そして他の犯罪に従事することも厳禁である。しかし、イスラム教徒ができることは、善行と信仰を照らす他の行為に従事して創造主の喜びを得ることである。

6. 斎戒によって自分自身を拷問するのは何故であろうか?

聖なる月のラマダンは全人類ヘの祝福である。世界各地のイスラム教徒は、毎年その訪れを待ちわびて、再び過ぎ去ると悲しみで泣く。

預言者ムハンマドﷺ は述べた。

「アッラーは仰せられた。「アダムの子孫の行いの全ては、斎戒以外は自分自身の為である。斎戒はわれの為であるから、われは報酬を与えるだろう。」

つまり、全能の神は、年中彼の信者への慈悲と恵みを与えて下さる。
創造主に愛と感謝の気持ちを示す為の斎戒は、イスラム教徒が大喜びで行う行為である。

彼らは、神を喜ばせる目的で、ラマダンを迎える。ラマダンは、いかに想像しても、拷問ではない。それは唯一神に対する信仰と完全な信頼の行使である。

7.ラマダン中の日々は休日のようなのか?

はい!いくつかの点で、ラマダンの期間は休日と比較することができる。全世界のイスラム教徒の家族には、家族と客をもてなす、十分な大きさの食事(イフタールと呼ばれる)がある。

すべての年齢のイスラム教徒が共に食事を分かち合い、過ぎ去ったラマダンを思うのはノスタルジックな時間だ。重要な家族問題を取り上げて、この月の間にそれらの解決方法を模索するのにもまたすばらしい時である。

感謝祭のように、準備する食糧と洗うべき食器が沢山ある。多くのイスラム教徒の家族は、みんながキッチンから出て崇拝に集中できるように、世帯の小さな家庭でさえ、みんなに手伝うように声をかける。

8.斎戒を偽ることはあるだろうか?

これは、イスラム教徒が、ラマダンについて尋ねられる、最も一般的な質問の一つであり、答えははっきりと「いいえ!」であり、イスラム教徒は、私たちが神と共に24時間年中在ると信じるている。(タクワとして知られている)イスラム教徒は、常に創造主の面前であると意識している。イスラム教徒は、フルコース料理がある鍵のかかった窓のない部屋にいたとしても、一口も取ることはないだろう。

別の人間が目撃していなくても、神がご覧になっている。

イスラム教徒は、力を与え維持される御方である神に恥ずかしく思うだけでなく、神を不快にさせる事を畏れ、それは全ての時間と空間を超越する、深く根ざす愛と同じである。

誰も見ていない時に水を少し飲んだり、食べ物をつまむのは問題外である!

斎戒している間、イスラム教徒は創造主とのより深いつながりを感じている。斎戒自体は、恵まれない人々の苦しみのために、多くの拘束、自己制御、共感をイスラム教徒にもたらす。

現実の調薬として、乾燥した喉や空腹の痛みを身を以て体感できる様なものは他にはないだろう。ラマダン中の斎戒は、生活の基本的な欲求を克服するための優れた訓練であり、それにより、自分が欲望にコントロールされるのではなく、それをコントロールできるようになる。

ラマダンは、非常に華麗で特別であり、多くの非イスラム教徒もそれに引き付けられ、結束のために斎戒することを選択する。ではラマダンのすべての質問の答えが出たところで、ラマダンの1日か2日を斎戒して過ごしてみてはいかがでしょうか?

スマイヤ ミーハン

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