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ISISはイスラム教ではない

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ISISはイスラム教ではない

それはISISと呼ばれるが、2014年の6月29日にカリフによる政権の再設立を宣言して以来、世界のメディアはその団体によって行われた多数の残虐行為を報告している。したがってイスラム教徒と非イスラム教徒の両方の真のイスラム教的価値観を育て、イスラム教と極端な行為を融合させないようにする必要があると感じた。

更にイスラム法やイスラム史に関係する資格を持つイスラム教徒は、イスラムの価値観について伝えるだけではなく、すべての信仰を持つ人々を教育する努力を行う事が重要である。

イスラム教の価値観の実践

イスラムの価値観は、基本的に正義と思いやりに基づいている。これらは神の存在を誠実に信じ、主を喜ばせる方法で行動しようとすることによって表現される。イスラム教徒は、主のみを崇拝する事に専念し、自分の説明責任を意識することによって、正義と思いやりをもって行動することが奨励される。クルアーンはこの点について明確に述べている:

「あなたがた信仰する者よ、アッラーのために堅固に立つ者として、正義に基いた証人であれ。人びとを憎悪するあまり、あなたがたは(仲間にも敵にも)正義に反してはならない。正義を行いなさい。それは最も篤信に近いのである。アッラーを畏れなさい。アッラーはあなたがたの行うことを熟知なされる。」(5:8)

「あなたがた信仰する者よ、証言にあたってアッラーのため公正を堅持しなさい。仮令あなたがた自身のため、または両親や近親のため(に不利な場合)でも、また富者でも、貧者であっても(公正であれ)。アッラーは(あなたがたよりも)双方にもっと近いのである。だから私欲に従って、(公正から)逸れてはならない。あなたがたが仮令(証言を)曲げ、または背いても、アッラーはあなたがたの行うことを熟知なされる。」(4:135)

大量虐殺、民族浄化、分裂主義、ジャーナリストを誘拐し殺害、その他の悪事は真のイスラム国家の特徴である、思いやりのある慈悲深い振る舞いとはまったく反対である。
「だがかれは、険しい道を取ろうとはしない。

険しい道が何であるかを、あなたに理解させるものは何か。(それは)奴隷を解放し、
または飢餓の日には食物を出して、近い縁者の孤児を、または酷く哀れな貧者を(養うこと)。それから信仰する者になって忍耐のために励ましあい、互いに親切、温情を尽しあう(ことである)。」(90:11-17)

イスラムの価値下にある少数派

過去にこれらの価値が実践され内在化された時、政治的権威を持っていたイスラム教徒は、歴史の中で比類なき社会を作り出した。ユダヤ教徒やキリスト教徒のような少数民族の扱いについて考えてみよう。メディナ条約において預言者ムハンマド (彼に平安あれ)は言った:

「イスラム教徒全員が、私たちと契約を結んだユダヤ人に同情的な扱いで接する事が重要である。どのような種類の迫害も彼らに犯されてはならず、また彼らの敵が助けられるべきでもない」

人気のある歴史家カレン アームストロングは、これらの価値がどのようにして前例のない共存を確立したかを指摘している。
「イスラム教徒はユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒がエルサレムで初めて共存する為の仕組みを創設した。」

ユダヤ人学術史家アムノン・コーエンは、イスラム教の価値観の実用化、オスマン帝国のエルサレムのユダヤ教徒がどのように自由で社会に貢献したかを示している。
「誰も内部組織や外部の文化的・経済的活動を妨害したことはない…

オスマン帝国のエルサレムのユダヤ教徒は、イスラム教の州で宗教的・行政的自治を享受し、地元の経済や社会の建設的でダイナミックな要素として、その機能に貢献した。
ウマル・イブン・アル=カッタブは、預言者ムハンマド(彼に平和あれ)の、二番目のイスラム教のカリフであった。彼はパレスチナのキリスト教徒に、宗教的自由、安全保障、平和を与えた。パレスチナのキリスト教徒との条約に述べられている。

「これは神の僕がパレスチナの人々に与える保護権です。したがって、保護権は彼らの人生、財産、教会、十字架、健康な人、病気の人の為、そしてすべての共同宗教家の為です。このようにして、彼らの教会は住まいに変わることも、奪われることもなく、彼らが傷付けられることも、またその囲いにも十字架にも傷つけられることもなく、彼らの富が奪われることもありません。彼らの宗教的な儀式に制限はありません。」

紀元前869年、エルサレムの総督テオドシウスはウルマの条約に対するイスラム教徒の遵守を確認した。
「サラセン人[イスラム教徒]は私たちに多大な親善を示しています。彼らは私たちが教会を建て、支障なく自分たちの習慣を守ることを可能にします。」

これらの歴史的物語は歴史的な偶然ではなく、永遠のイスラムの寛容と慈悲の価値に基づいている。
強制による改宗
イスラム教において強制による改宗は禁じられており、いかなる場合でも強制的に誰かを改宗させることはできない。これは次のクルアーンの節によるものである。

「宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。」2:256
マイケル ボンナー
初期のイスラム教の歴史の権威であるマイケル・ボンナーは、上記の節の歴史的現れを説明している。
“まず、強制的な改宗はなく、”イスラムと剣 “の間の選択肢はなかった。明確なクルアーンの原則(2;:256)に従うイスラム法は、そのようなことを完全に禁じている。イスラム教の支配下の非イスラム教徒は、宗教を実践することが許されなければならない」

イスラム教の主要な歴史家の1人である デ レイシー オーリアリーは、イスラム教の教えに起因する神話を公開している。

歴史は明らかにしている。狂信的なイスラム教徒の伝説が世界を席巻し、征服された民族に関して、剣を使用してイスラム教を強制したという伝説は、歴史家がこれまで繰り返してきた最も奇妙な神話の1つである。

非イスラム教徒の税金 :ジズヤ

様々な聖職者の差し止め命令に基づいて、イスラム統治当局は非イスラム教徒に市民税の一種を課す。この税金(ジズヤと呼ばれる)は大きな負担ではなく、通常はイスラム教徒が税金として支払う額よりも少なかった。

税金はすべての成人男性に課税されたが、女性、子供、病気および貧しい人々は免除された。それは毎年の年末に支払われ、裕福な非イスラム教徒は48ディルハム(年間約500ポンドに相当する)を与えなければならず、適度に裕福な非イスラム教徒ははるかに少なく支払う。もし誰かがこの税を払う余裕がなければ、何も支払う必要はない。

実際には、非イスラム教徒市民が家族を養い、まともな生活水準を維持するのに十分なものを得ていると保証することは、当局の責任であった。例えば、イスラム教のカリフの一人であるウマル・イブン・アブド・アル=アジズは、イラクの彼の代理人に次のように書いている。

「あなたの地域で、年をとって、稼得できない人々を探し、彼らのニーズを満たすために財務省からの定期的な奨励金を彼らに提供してください。」
実際の非イスラム教徒に課される税の現実的な表現は、1453年にラビが書いた次の手紙に見いだすことができる。ヨーロッパのユダヤ人に対する迫害の後に、彼は共同宗教家にイスラム教徒の土地を訪れるよう促し、彼らは経済援助を受けた。

「トルコの地では、何の不満もない。私たちは大きな幸運に恵まれている。多くの金と銀が手に入る。大きな税金に苦しんでおらず、商取引は自由であり、妨げられていない。豊かさは地球の果実である。すべてが安く、私たち全員が平和と自由に生きている…」

安全と保護

預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は彼に関する権威ある言行録で述べた。
「約束の下にいる人に害を与えたり、不可能な返済を求める人がいれば、私は審判の日に彼に抗議するだろう」。
「ディミ (イスラム教徒の保護下にある非イスラム教徒)を傷つける者は私を傷つける」
13世紀の法学者であるアル・カラフィーは、実践的に、上記の預言者の教えを説明している。

「保護条約は、(イスラム教徒保護下の非イスラム教徒である)アル・ディンマに対する一定の義務を私たちに課している。

彼らは私たちの隣人であり、避難と保護下にあり、アッラーとその使徒とイスラム教の宗教を保証している。
彼の名誉を傷つけたり、傷害を起こしたりそれを援助することによって、また虐待的な言葉でこれらの義務を怠る者は誰でも, アッラーと、かれの預言者(彼に平安あれ)とイスラム教の保証と断交したという事である。上記を参照すると、クルアーンが使徒(彼に平安あれ)を「世界への慈悲」であり、神の慈悲は「全ての生きとし生けるものを覆う」と表現されるのもわかる。

これらの価値が歴史上で認識されたとき、少数派は保護され、平和を体現し、ムスリム当局を賞賛した。例えば、巡礼者の僧侶であるバーナード・ザ・ワイズは、アル・ムタッツ治世(866年9月9日)の時代にエジプトとパレスチナを訪問し、以下のように述べた。

「…キリスト教徒と異教徒 [すなわち、イスラム教徒]は、お互いに平和な関係にあります。私が旅行に行き、私の貧しい荷物を担うラクダやロバが死んでしまったとしたら、私は保護者なしですべての商品を置き去り、別の動物を求めて都市へ行かなければなりません。しかし私が戻ったならば、私は私の財産の全てが無傷なことを見つけることができるでしょう。」イスラム教の価値感の先例のない影響と効果は、人々にイスラム教の慈悲と寛容を好ませた。初期のイスラム教下のスペインの権威者であったラインハルト・ドズィーは以下のように説明している。

「…アラブ民族の限りない寛容も、考慮されなければなりません。宗教的な問題では、彼らは男性に圧力をかけませんでした…キリスト教徒は、フランクスの規則よりも、彼らの規則を好みました。」
英国の歴史家と東洋学者であるトーマス・アーノルド教授は、イスラム教の情報に関して声明を出すにあたって、キリスト教徒は「イスラム教徒の頭の上に、天の恵みが与えらた」と述べるまでに、イスラム教徒と共に幸せで平和であったと述べている。

イスラムと人種間の協力

人種的な対立が根強い状態からほど遠く、イスラム教は、イスラム教の教えに基づく異人種間の協力の現実的なモデルを提供した。クルアーンで雄弁に述べられている。

「人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは、全知にして凡ゆることに通暁なされる。」49:13

預言者ムハンマド(彼に平安あれ)はイスラムにおいて人種差別はないと明確にした。
「全人類はアダムとイブの末裔です。アラブ人が非アラブ人に、非アラブ人がアラブ人に優るなどということはなく、白い者が黒い者に、また黒い者が白い者に優る、などということもありません。敬虔さと善行を除けば、誰かが誰かに優る、などということはないのです。」

東洋の歴史家であるハミルトンA.R.Gibbは述べた。

「しかし、イスラム教は、人類の存在理由に更なる奉仕を行う。イスラムは最終的には本当の東側とヨーロッパが行うことに近く、異人種間の理解と協力の素晴らしい伝統を備えている。他のいかなる社会も、地位と機会と努力と人類の平等でそれほど多くを記録する社会はない。イスラム教には人種と伝統に関する明らかに和解出来ない事柄を和解させる事ができる力がある。東と西の多大な社会の反対勢力が協力するなら、イスラム教は欠くことの出来ない状態になるだろう。

その手中に東側と対立するヨーロッパが直面する問題の解決策がある。彼らが団結するならば、平和な問題解決の希望は測り知れないほど強化される。
しかし、もしヨーロッパが、イスラム教の協力を拒絶するなら、それをそ、問題は双方の為に単なる壊滅にしかなりえない。」

尊敬される歴史家であるAJ.トインビーもまたこう確証している。
「イスラム教徒間においての人種意識の絶滅はイスラム教の優れた業績の1つです。そして現代の世界で、このイスラムの美徳の普及の緊急の必要性が挙げられます。」
イスラム文明の最も心に訴える概要の1つは、ヒューレット・パッカード(カーリー・フィオリーナ)の前CEOの演説で述べられている。

「かつて世界で最も大きかった文明がありました。それは海から海まで、北部の地方から熱帯地域と砂漠地域にわたった、大陸間の国際政治機構を構築することができました。
その領地の中で、数億人の異なる信条と民族の起源の人々が生活していました。
その言語の1つは、100の土地の民族の間のかけ橋となる、多くの世界の共通語になりました。その軍は多くの国籍の人々から成り立ちました。そして、その軍の保護はこれまで知られていなかった程の平和と繁栄をもたらしました。

そしてその文明は、何よりも発明によって栄えました。その建築家は、重力に逆らった建物を設計しました。その数学者は、コンピューターの建物と暗号化の作成を可能にする代数学とアルゴリズムを作成しました。

医者は人体を調べて、病気に対する新しい治療法を見つけました。天文学者は天を調べて、星に名をつけて、宇宙旅行と探査への道を開きました。作家は、何千もの物語をつくりました。勇気とロマンスと魔法の物語でした。

他国が思想を恐れた時、この文明は彼らを繁栄させ、彼らを生かしました。検察官が過去の文明から知識を消すと脅迫したとき、この文明は知識を生かし、他へと伝えました。

現代の西洋文明がこれらの特徴の多くを共有する間、私が話している文明は800年から1600年のイスラム教徒の世界でした。そしてそれはオスマン帝国とバグダッド、ダマスカスとカイロの法廷を含み、スライマンのような進んだ雄大な統治者が存在した。

私たちは多くの場合、この他の文明に対する私の負債に気づいていないが、その賜物は私たちの遺産の一部である。技術産業は、アラブの数学者の貢献がなければ存在しないだろう。
スライマンのようなリーダーは、寛容と市民的リーダーシップの概念に貢献した。おそらく私たちは彼の例から教訓を学ぶことができる。それは継承ではなく能力主義に基づくリーダーシップだった。キリスト教とイスラム教とユダヤ教の伝統を含む、非常に多様な人口の全能力を活用したリーダーシップだった。 この種の啓発されたリーダーシップ (文化や持続可能性や多様性や勇気を育むリーダーシップ)は800年の発明と繁栄をもたらした。」

最後に

イスラム教徒がそのような公正で寛容で思いやりのある社会を実現できた主な理由は、神の唯一性を肯定し、かれを喜ばしく崇拝することが、彼らの生活のスピリチュアルで道徳的根拠だったからだ。
これは、時代を超越した普遍的かつ客観的な道徳的基礎を提供した。18世紀のエコノミストであるアダム・スミスは「世界が科学の発展に必要な平穏な水準を享受した最初の国家である」と主張した。
イスラム社会の基盤となる価値観について、この短い洞察は、ISIS等の、イスラム教徒の一部の活動が、規範的イスラム教と、どのように合致していないかを示してくれることが期待される。重要なこととしては、この短い紹介文が、イスラム教とは何かについて、よりバランスの取れた視点を育む助けになることを願っている。

ハムザ- ゾルシス氏

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