イスラム教において、死後何が起こるのだろうか?
私は、死ぬ前に行うべき事のリストを作ろうとしているので、いくつかの提案が必要だ。イスラム教が、死について何を語っているのかコメントをお願いします。 全能者のアッラーは最も賢い御方であり、すべてのことを知る御方である。 イスラム教の教えに親しんでいない人の為に、この最も誠実で深い質問に答える前に、基本事項をおさらいするべきである。 聖クルアーンの終わりには 「時間章」と呼ばれる短い章があり、それは人間の生死に関する多くの問題を解決することができる、非常に重要な意味を持っている。その翻訳を読んで考えてみよう。 「時間にかけて(誓う)。本当に人間は、喪失の中にいる。 信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの外は。」(偉大なるクルアーン 103:1-3) 上記のクルアーンの部分とそれに関連する章から、イスラム教の学者たちは次のように結論づけている。 私たち一人一人は、死ぬまでに成就することを目的として生まれた。それ(目的)は唯一の真の神をかれの諸条件について崇拝することだ。 「ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。」[偉大なるクルアーン 51:56] 私たち全員が死に、墓の中に入るだろう。 「各人は死を味わわなければならない。」[偉大なるクルアーン 29:57] 私たち全員(信者と非信者)は、裁きの日に再創造される。(復活)する。 「本当にわたしたちは、アッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。」[偉大なるクルアーン 2:156] これらの者は、甦ることを考えないのか、偉大なる日に。その日、(凡ての)人間は、万有の主の御前に立つのではないか。[偉大なるクルアーン83:4ー6] 一人一人が彼または彼女の 「記録の書」(彼らのすべての行為のリスト)を受け取ることになる。 「断じていけない。罰ある者の記録は、スィッジーンの中に(保管して)ある。」[偉大なるクルアーン 83:7] そしてアッラーは仰せられた。 「その時右手にその書冊を渡される者に就いては、 かれの計算は直ぐ容易に清算され、 かれらは喜んで、自分の人々の許に帰るであろう。 だが背後に書冊を渡される者に就いては、 直に死を求めて叫ぶのだが、 燃える炎で焼かれよう。」[偉大なるクルアーン84:7‐12] 一人一人が自分のしたことに対して責任を負う。 「一微塵の重さでも、善を行った者はそれを見る。一微塵の重さでも、悪を行った者はそれを見る。」[偉大なるクルアーン99:7‐8] 誰も、他人のために罪や罰を取り除くことはない。 「アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない。(人びとは)自分の稼いだもので(自分を)益し、その稼いだもので(自分を)損う。」[偉大なるクルアーン2:286] 主の意志を除いて、誰もその全能者と取り引きをすることはないだろう。 「かれの許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。」[偉大なるクルアーン2:255] 天国か地獄なのか、最終目的地はその時に知らされるだろう。 「あなたがたは必ず獄火を見よう。」[偉大なるクルアーン:102:6] アッラーの憐れみ以外によって誰も楽園には入らない。 ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は述べた。 アッラーの憐れみを除けば、誰もジャンナ(楽園)に入ることはできない。預言者の仲間が「あなたでさえですか?アッラーの預言者よ?」と尋ねられた時、彼は「私でさえ」と答えた。 それを獲得した人以外は、誰も業火には入らないだろう。 「それでわれは燃え盛る業火に就いてあなたがたに警告した。最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。」[偉大なるクルアーン 92:14-15] 死は、戻ることのできない土地への旅のようなものである。だからあなたが死ぬ前に、旅のお供に、3つの物を必ず忘れないでください。 身分証明書 永遠に続く十分な栄養 充分な衣服または覆い 1.適切な身分証明書:[個人の生活記録帳] これは2つの非常に重要なカテゴリーを指す。 信条(信念) 行動(行い) 次の人生への容易な移行と、楽園での適切な場所を保証するために、それらは両方とも正されなければならない。 比類なき唯一の真の神と、神への崇拝行為への信仰の契約から始めよう。 これは、「存在するすべてのものの唯一の創造主、支持者、そして神である唯一の真の神がいる」という理解に至る人なら誰もが意味する事である。これは「唯一性」またはイスラム教のタウヒードとして理解することができる。 次の3つのカテゴリーに分類すると理解が深まるだろう。 1. 主権の唯一性[タウヒード アルールッブビーヤ] 2. 帰依の唯一性「タウヒード アル―ウルヒーヤ] 3. …